(14)赤字について考えた


 興行を生業としない立場の人間が、落語会を開く時によく聞かれる言葉が「儲けてはいけない」ということです。

 私が落語会のお手伝いをスタートさせた「駿府寄席」では、会の定款がこうなっていました。

   

第四条   本会は上記の目的のため次の活動を行う

        1. 「駿府寄席」を開催する

        2. 各地、各会に寄席、落語会を開き、また落語家等を紹介する

        3. その他、目的の達成に必要な活動を行うが利益は追求しない

 

        (赤文字はブログ筆者によるもの、以下同じ)

 

 「利益は追求しない」。この考え方は、前身の「しずおか寄席」から引き継がれたもののようです。

 落語会を開く上で、なぜ儲けてはいけないのか。それは、私にとってはちょっとした疑問でした。

 ここでは、落語会を続けるためのお金への意識をちょっと考えてみます。

 

 

 まずは、興行ではない落語会を運営する上でのお金の在り方について言及している文章を、少しですが調べてみました。

 


 名古屋市東区で、昭和42年から平成25年まで続いた地域寄席「含笑長屋」。正しい落語を残すための場として、話芸研究者の関山和夫氏が含笑寺で主宰された会です。この会のルール(関山氏は「オキテ」と呼んでいます)は、こう始まっています。

 

一、含笑長屋は、あくまでも正統落語の進化を文化的に把握しようとする研究会である。正統話芸としての落語の継承発展を最大の目的とする。興行(金もうけ)や道楽・趣味の会であってはならない。会員制(会費制)を厳守して永続を図る。外部からの金銭的援助を受けないこと。(「含笑長屋落語十年」関山和夫著、「上方芸能」編集部、昭和51年、47p)

 

落語の研究が第一目的である以上、金銭的援助で会の性格が歪むことをおそれたように思えます。関山氏の本業が研究者であったこと、会場が寺の道場であったこと、会が結成されたのが昭和40年代前半であることを踏まえた上で理解したいです。

 

 

 また、埼玉で「川越蔵づくり落語会」を主催されていた伊藤明氏は、地域寄席を永く続けるためのノウハウを書いた文章の中で、こう述べています。

 

多くの地域寄席は、採算で行き詰まり、続かなくなる場合が多い。利益を出す必要がないとはいえ、赤字では継続は不可能である。収支が見合うようにしておくことが大切なのである。つまり、入場料と落語家さんの出演料・他の諸経費などのバランスを考えることが欠かせない。

しかし、あまりに多額の利益が出てしまうのではよろしくない。世話人が、少し持ちだすぐらいが、ちょうどよいのではないか。(「地域寄席」、「落語の世界3 落語の空間」岩波書店、2003年、141p)

 

伊藤氏の本業は会社経営。文章の他の部分にも、寄席を続けること・やめることについてのシビアな視点が感じられます。そして、赤字ではまずいが「世話人が持ち出し(赤字を埋める)くらいがちょうどいい」。

 

愛知県で「安城落語会」を主催する堀尾豊氏は、落語をテーマにした座談会の中で、落語会を主催したいという人へのアドバイスの中でこう述べています。

 

落語会をやってお金を儲けようという考えだと長続きしないと思います。

私たちの『安城落語会』は始めてから40年間、一度も黒字になったことがありませんが(笑)今となってはやめられません。(略)発起人である従兄(堀尾安城病院理事長・堀尾仁さん)は「道楽なんだから儲けちゃいけないだろう」と言ってます。(座談会「落語は楽し」後編、月刊なごや 2018年7月号、p21)

 

堀尾氏の本業は家業である医院の経営。文中に出てきた従兄も別途地元で病院の理事長ということで「道楽として儲けない」という立ち位置で開いています。

 

地域でやる落語会は儲けてはいけない。本業をしっかり持った人が持ち出しくらいの覚悟でやる。

落語会を主催するというのは、こういう認識が当たり前でした。今もそう考える人は少なくないと考えられます。実際、それくらいの余裕がないとできない「道楽」です。こういう中で、安易に「プチ席亭」を薦めることができるでしょうか。

 

含笑長屋は、金銭関係により「正統な落語を保つ」という会の性質が変わることを防ぐために、外部からの金銭的援助を断(た)っていたと思われます。ですが、時代が移り変わり、現在、地方で落語を文化として研究する目的を突き詰めて運営される会もまずないでしょう(注1)。また、会費だけでは運営が困難な場合も多いと思われます。

そして、イベント開催や団体運営のためにクラウドファンディングやグッズ販売などでのサポートを求める形も増えた最近では、収益を考えずに開くというケースは少なくなりつつあると思います。落語会を開くにも出演者へのギャラのみならず、諸経費は必要です。その経費もきちんと落語会の収益で賄うことができ、次回以降の出演料や経費も準備できるだけの余裕ができるとしたら、それにこしたことはないようにも思います。

 

それでも儲けてはいけないというしばりがあるとしたら。

それは「出演者である落語家に利益が還元せず、主催者の利益になる」こと、それが「落語家より尊大な態度を取る」ことにつながってしまうことへのおそれと、「興行において素人であることをわきまえ、プロが主催する興行より儲けてはいけない」ということへの節度があるがゆえではないでしょうか。

 

関山氏の薫陶を受けた「岐阜落語を聴く会」(注2)の永縄照良氏は、堀尾氏が出席した同じ座談会でこう語っています。

 

『岐阜落語を聴く会』の創設者、関山和夫先生がよく言われたのは「玄人ぶってはいけません」ということ。落語のことを少しわかっている素人として、師匠をお迎えすることが大切。(座談会「落語は楽し」後編、月刊なごや 2018年7月号、p21)

 

落語会を続けてゆくと、必ずしも毎回黒字になるとは限りません。

出演者の知名度や日時の設定、会場の場所など微妙な条件の違いで来場者数は異なり、収益が赤字となる場合もあります。

続いている落語会の場合は、入場者数が多い会で生じた利益を、赤字となった回に埋め合わせるということが多いです。

そこで自腹を切ることができるだけの余裕があるか、またお金や援助をしてくれるスポンサーがいるか、ほかに何らかの形で収益を得る方法があるか。

特定の人の負担で成り立つ落語会ではなく、収益と運営を成立させるためのお金の在り方に意識をおくこと。来場者からお金を受け取ることだけではなく、出演者に満足な金額を渡すことで落語会をきちんと成り立たせるために、そして落語会を続けるためには大事だと考えています。

 

(注1)地方で、そういう理念で続いている落語会があったら教えてください。今は「楽しむ」ことだったり「地域振興」がいちばん大切、というところが多いのではないでしょうか。

(注2)「岐阜落語を聴く会」は昭和49年スタート。


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コメント: 1
  • #1

    山中典夫 (水曜日, 30 11月 2022 00:19)

    いつもツイッターでお世話になっています。
    自分も落語会を主催するので、考えさせられる文章です。
    私は少しでも利益をだそうと思ってやって来てますが、利益がでたのは最初の1-3回です。
    あと持ち出しばかり、落語家への給金が遅れたこともあります。
    そこでいったん落語会主催はやめました。そして昨年から三遊亭好青年勉強会を手始めに再開しました。
    がまだ利益はでていません。今年7月怪談話の会で完売を経験し、いけるかと思ったら、コロナ蔓延で当日8人~10人のキャンセルがあり、赤字になりました。

    私の住む鴻巣市に鴻巣寄席というレストラン経営者が運営する30年続く落語会(年6回開催)があります。
    ここはコロナ前までは、赤字になったことがありません。経営者に人徳、人望があり、10000円の年会費を集め運営費にあてています。落語家は現在、柳家花緑と桂春雨さん(以前は立川文都:故人、もいました)。
    落語家への給金は、上がりから経費を除いた額を当分に割った額です。席亭と落語家に揺るぎない信頼関係がありからできることですね。しかしコロナ前は常に100名以上を集めていましたから、10万は行かないまでも5万から7万円の給金はだしているはずです。先日の会は65名だといいますから、給金は5万もいってないと思います。
    木戸銭は2000円ですがレストラン特製のサンドイッチと飲物(ビールを含む)がつきます。
    持ち出しはダメ、と席亭はいいます。

    先日、王子北トピアの演芸会(東京ボーイズ、ナイツ、神田栢山)で1300人も入ってました。木戸銭は4000円です。そのスケールに驚きました。演芸向きの会場ではないんですが。

    私が入る神楽坂でもNPO法人主催の落語会が別にありますが、ここは常に黒字で大入り満員。
    菊之丞、花緑、喬太郎などが面子です。
    ここは菊之丞さんに一定の額を渡し、落語家の差配を任せて、木戸銭は自分達の収入という風にしているようです。2日間、神楽坂落語祭りの名目開催してますが大盛況です。

    やはり人気者を呼よんで、必ず黒字になる会をしなければなりませんね。
    その余剰で若手落語会を開く。そんな風に考えています。

    長くなりました。すみません。